『自分の選択が正しい』と思う5つの理由

シニアライフ

人生は常に「選択」の連続です。数十年の間、同じ場所で同じ仕事をしている人がいますが、それも、「続ける」という選択の連続だから出来ていることです。逆に、色々と状況の変化が多い人もいます。

やってみたら「ちょっと違うかな?」とか、現実問題として物理的に継続できない状況がある場合もあります。

いずれにしても、どんな選択をしたとしても「自分の選択が正しい」と筆者が考える5つの理由をお話しします。

結果的に「失敗」だったとしてもその選択は正しい

簡単です。

自分が選択したことだから(笑)

もし、人が言ったことを聞いた結果、「失敗だった」としたらそれは「間違った選択」だったと思うでしょう。

つまり、「あの人が言ったこと」だからです(笑)

自分が選択したことは、うまくいかなくても「経験」となる

「あれ?もしかしたら、今歩いている道は違うかな?」と思うことがあります。

迷うこともあります。

現状維持?それとも、いっそけりをつけようか・・・

頑張ってきたのに、頑張っているのに、なかなか思うような方向へ行っていないと感じることがあります。

そんな時は、周りの人だけがなぜか上手くいっているように見えるものです。

「自分はダメだあ」と思うことも沢山あります。(本心は・・・)

筆者の場合は、そんな時こそ、「やってきたことを思い出してみる」のです。

すると、自分には「ここから先はちょっと無理かも」と思う事でも、そもそも、ここまでにも来れていない人もいることに気が付く訳です。

今自分がやっていることをやりたくてもできなった人がいる人の話を聞いたこともあります。

世の中は大体がそういうものですから、できなかったことを嘆くより、まずはやってきたことを具体的に考えてみると、「案外、自分も頑張ったじゃない!」と思えてくることが不思議です。

そもそも、何事も「やってみないとわからない」訳です。

だから、「失敗した」ととらえるより「いい経験」だったと思えばいい!

だって、自分が選択したことですから(笑)

自分が選択したことだから「後悔」しない

「後悔」ということばには、2つあります。

「やった後悔」

「やらなかった後悔」

人が死ぬときに後悔することは「やらなかった後悔」というのも、本当にその通りかも知れないと60代も後半ともなると実感することです。

やった後悔には「反省」と「次に繋げる可能性」が伴います。

しかし、「やらなかった後悔」には、元々、何も残らないのです(笑)。

だって、元々「ゼロ」な訳でプラスもマイナスもないのですから・・・

結果的に同じプラマイゼロだったとしても、「やったこと」は経験が残るだけプラスという訳です。

自分が選択したことだから、自分のせい

大概の人は、自分のことは自分で決めているでしょう。

大昔には、結婚相手すら「親が決めた相手」とすることがあったそう・・・

大げさではなく、結婚式の日に「結婚相手の顔を初めて見た」なんてことがあったそうで、「嘘のようなホントの話」です。

現代では、違う意味での「まさか」もあるかの知れませんが(笑)

SNSなどの「マッチングアプリ」とやらでは、凄い美人や、凄いイケメンだったはず!

実際にあってみたら「あれ?写真と違う?」なんてこともあるようです。(笑)

時代とともにある意味「笑い話」になりそうな話もあります。

現代では、「離婚」する夫婦もとても多いですが、自分で決めた「結婚」なら「上手くいかなかったな」という結果になっても誰のせいでもありません。

自分で決めたことなら、結婚でも仕事でも、どんな結果でも「自分のせい」としてまた頑張ることができます。

その選択の結果には、タイムラグがある

「失敗だったかな」と思うことでも、数年後になって「あの時にあの事があったから」と思うような事態になることがあります。

早計に、「失敗だった」と結論を出さず、そのことについては敢えて考えないでほっておくほうが良い場合もあります。

考えてみれば、その辺りの道路だって、大概はどこかに繋がっているのです(笑)

多少間違えたところで、外国へ行ってしまう訳ではありません。

自分の人生を「道路」に例えるのもどうかと思うのですが、すでに67年という年月を生きて来た筆者です。

「あれ?ちょっとこの道間違ったかも?」と思ったからと言って、いきなり目の前の道路が無くなってしまうようなことに遭遇したことがありません。

いくつかの道があったとしても、「同時に2つの道を歩くことはできない」のですから。

「Aという道」を行ってみたら行き止まりだったとしたら、引き返して「Bという道」を行ってみる。

間違った道のことは考えない。

過ぎてしまったことの理由にとらわれていても、時間が無駄だから・・・

そんなこんなで年数が経ち、ふと気付くのです。

今の「これ」があるのは、あの時の「あれ」のお陰?

選択ミスだと思っていたことが、実は、その道を通る必要があったことに気付きます。

なるほど、「急がば回れ」という事か(笑)

何事も、「タイムラグ」は必ずあるものです。

そのことを知っているといないとでは、うまくいかない時の受け止め方が全く違ってしまいます。

だた、このことに気付くためには、それ相応の年数が必要です。

要は、人生の実験期間が必要なのです。

年齢と共に、積み重ねた「実験結果」みたいなものですから結果が出る頃には「ハイ終了!」となるのかも知れませんが(笑)

「えッ?」まだ実験途中なんですけど・・・というほど、人生は「実験の継続」なのです。

まとめ

若い時から、年配の人の話を聞くのが好きでしたが、ふと気付けばどこへ行っても自分が一番の年配者となっている現実です(笑)

「先生」という字は、「単純に自分より先に産まれた人」です。

自分より年上の人は、みんな「先生」です。

ならば「先生」から先に教えていただければ、回り道しないで効率よく思った人生を歩けるはず!

と思っても、結局人生は甘くはないです。q(≧▽≦q)

「酸いも甘いも」自分で味わったことだけが「味覚」となる訳で、頭で考えていることは「無味無臭」にしかならないことを、人生終盤にきてしみじみと感じるのです。(笑)

とかなんとか、経験こそが「財産」だと、他に財産がない筆者の強がり半分本心半分です( ̄︶ ̄)↗ 

今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。

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