最近の天気予報はおおよそ当たります。昔なら「雨が降る可能性は?」という程度の予報でしたが、今では「雨雲レーダー」を見れば、自分がいる場所は何分後に雨が降る!なんてことまでわかってしまうのです。便利な時代になりました。
現実の空は雨でも、雲の上は常に晴れている訳なのですが普段はそのことを忘れています。
空を「自分の心」に当てはめた時、雲を出すのも、雨を降らすのも、全て自分の意思でやっていることだと気づきます。
そして思うのです。
ずっと前から、「空はいつでも青かったのに・・・」
この歳になって気づく?この歳だから気づけた?
若い人でもこのことを知っている人がいる
同じ年齢でも普段考えていることは同じではありません。
いわゆる「精神年齢」というものがあります。
人間生きていれば、「気分がいい時」や「気分が悪い時」色々と感情というものがありますが、良くない感情にとらわれた時の切り替えが早い人と遅い人がいます。
それから、すぐに怒ったり感情を表に出す人がいます。
逆に、「ポーカーフェイス」と言って、感情をあまり外に出さずいつも穏やかな人がいます。
感情の起伏が激しい人は、「気分屋」と言って、一緒にいると少々疲れることがあります。
これは年齢に関係ないことで、主には「性格」の要素が高いのではないかと思う訳です。
大概、生きていれば、誰にもいいこともあれば悪いこともあるし、嬉しいこともあれば悲しいことがあるのです。
なのに、いつも機嫌が悪い人がいれば、悲劇のヒロインのようなことばかり言っている人がいます。
もしかしたら、自分の心がどんな状態でも、その雲を自分で取り払うすべを知っている人とそうではない人の違いでしょうか?。
若い人でも、本当に人間ができているなと思う人がいますが、それは究極、自分の感情の始末を自分でできる人。ということだと思います。
「年齢を重ねたらできる」ことでもない。
魔法使いのように、一瞬で心の雲を取り除くことができたらいいのに・・・
そうしたら、あの雲の上は「青い空」(笑)
何かに躓いたことがある人は強い
スーパーなどで買い物をしていると、時々、地面に寝転がって泣いている子供を見ることがあります。
自分の欲しいものが買ってもらえないからか、それとも、別の理由からか・・・
いずれにしても、「自分の思うようにならないことにイラついている」ことは間違いない。(笑)
もしかしたら、「泣けば欲しいものが買ってもらえる」経験がある。「泣けば大人が言う事を聞いてくれる」経験がある。そういう事でしょうか?
ある意味、子供らしくていいです。
それも親の愛情の一つです。
それとは反対に「泣いてもどうにもならない」現実を生きて来た人もいると思います。
悲しい現実を受け入れて、それでも、曲がることもなくまっすぐに育って大人になった人は、もしかしたら、元々の空は青いことを知っていて、懸命に「心に掛かった雲」を払う努力をしてきた人かも知れません。
生きていれば、心に雨が降る日もある
たまには悲しい出来事もある
大切な人が亡くなったとか、可愛いペットが死んでしまった。とか・・・
そういう事は、現実のことですから悲しいのは当たり前のことです。
これは、どんなに「雲」の上が晴れているからと言っても、その雲が無くなるまでには時間が掛かります。
そういう「悲しい」ことではなく、自分の考え方によって「悲しくなっていること」があります。
人によっては全くどうでもいいようなことでも、本人が「悲しい」と感じれば「悲しい」のです。
パラパラ小雨程度で終わる人がいれば、台風を招く人がいる
案外、正義感が強い人の方が、色々と厄介な感情を招くようです。
一見、「正義感が強いから」というと聞こえがいいのですが、「見て見ぬふり」「聞いて聞こえないふり」をすることが大事な場面もあります。
この世の中、余程大事な場面に遭遇するとか、あるいは、警察官のような職業についているとか、「目を瞑れない」状況にあるのなら話は別です。
そうでなければ、小雨で済んだ話をわざわざ「台風」にする必要は無いと思うのです。
「あっち行ってコツン」「こっち行ってコツン」
自分の正義感を振りかざしていれば、どこに行っても誰かが気に入らない!
誰にも多少はそういう面があるかも知れないですが、程度というものがありますから。
現実の台風だって来るのがわかっていれば、あちこち被害が出ないように対策をするのですから、何も自分からコトを大きくする必要は無いのではと、時々そのような人を見て思う訳です。
「今泣いたカラスがもう笑った」
泣くも笑うも、自分次第
同じ状況に置かれても、人によって全く受け止め方が違います。
人間は十人十色ですから当たり前と言えば当たり前です。
考え方次第でどうにでもなることなら、なるべく「笑ってごまかす」(笑)のが筆者流。
カラスは笑うのか?
そういえば、本当にカラスは笑うのか?
ちょっと調べてみたら、カラスは知能が高いので「人の笑い声を真似」することがあるとか(笑)
それにしても、「ワーハハ~」なんて笑うカラスがいたら、なんだかバカにされているようですね(笑)
「今泣いたカラスがもう笑った」という諺は良く使いますが、主に、「子供」に対して使う諺でしょう。
思い通りにいかないと「泣いてぐずる」かと思えば、代用品を与えればすぐに「ニコニコ」になる子供のことを「カラス」にたとえた諺ですよね。
まさか、大人にこんな「カラス」は少ないと思いますが?(笑)
いつも「いい人」でいようと思わないコトが大事
全ての人から好かれる必要はない
わざわざ人から嫌われる必要は無いのですが、「ここは譲れない」というような場面では「嫌われてもいい」と割り切ることが必要な時があります。
「自分が正しい」訳ではありません。
間違っていてもいいのです。
嫌われることが怖くては、「自分軸」がぶれる時があります。
そんな時は、「ずっと曇った空の下にいるのか」「青い空の下に行くのか」
自分の心が、快適と思う空の下へ行きたい!
嫌われても、自分の選択を信じて進めばいいのです。
「都合のいい人」になっていないか
時間に余裕ができてきた近頃、ふと、自分の人生を振り返ってみることがあります。
つい、1年ちょっと前までは、自分を犠牲にして無理をしてしまうところがあったのです。
元々、「無理」という字は「道理が通っていない」ことなのです。
会社員であれば、大なり小なり、仕方がないことですが・・・
そんなことをしても、結局自分の為にも人の為にもならない!ことを痛感した次第です。
自分の意思とは裏腹に、人の為などと大儀を言ったところで、「本当のいい人」にはなり切れず相手にとっての「都合のいい人」止まり。(笑)
人間が中途半端だと、聖人君子にはなれないのだと悟った訳です。
なので、そのことを肝に銘じた今は、「決して無理をしない」ようにしています。
もし、無理をしなければ続けていけないことなら、そもそも合っていないことだと思う事にしています。
60代は、もうそれでいい!(笑)と自分に納得しているところです。
「青い空」の下で生活をするためには、雲を発生させる可能性があることはできるだけ避けたい!
まとめ
春からずっと、我が家には「ツバメ」達が来ています。
ツバメの巣は二階のベランダにあります。
今年は、全員が二度目の巣立ちをしたのが7月18日でしたが、それからも夕方6時頃になると毎日巣に戻ってきています。
ですから必然的に「上」ばっかり見ているのですから、晴れていれば「青い空」が目に入る訳です。
でも、お天気は刻々と曇ったり雨が降ったりと、日々快晴という訳にはいきません。
自分の心だって、お天気と同じように晴れたり曇ったり・・・
春以来、色々と環境の変化に伴い仕事も順調ではないし、「何をしてるんだか」と我ながら情けなくなったりもしている訳です。
周りのみんなは頑張って仕事をしているし、お金も稼いでいるというのに・・・。
それなのに・・・・と思うと途端に「シュン」⊙﹏⊙∥となることがあります。
でも、これまでだって思うようにはいかないことだって沢山あったはず。
それでも、あの雲を抜けたら確かにあった「青い空」!
わかっていても、なかなか、雲を取り除くことに時間が掛かることがあります。
何事かを成す努力も大事ですが、それにとらわれて「青い空」が見えなくならないようにしなければ!
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。