一口に60代と言っても、「60歳~69歳まで」ある訳です✪ ω ✪
この年代になると、この10年の間のどこかで、一度は自分の人生を振り返り立ち止まり、そしてまた歩き始める!そんな年代ではないでしょうか?
「10年ひと昔」とか、「10年先を見て歩く」とか、10年一区切りという意味の言葉があります。
何かを始めたからと言っても、すぐに形になる訳ではないです。
種を蒔いて水をやり、手入れをしないと花も咲かないし、実もならない。
今になって振り返れば、人生も仕事も「農業と同じ」だなあと、つくづく思うこの頃です(* ̄;( ̄ *)
「桃栗3年、柿8年」と昔から言いますしねq(≧▽≦q)
何でもすぐには食べられないですねಥ_ಥ
ちなみに筆者は農家とは無縁の家庭の育ちで、実は、実際に土に触ったり庭木の手入れをしたりするのはこの数年のことでして・・・*^____^*
結構と大きな木の伐採などもやってみたり、草との格闘をしてみたり、頑張った先には腰痛との戦いがあったりと、ほとんど経験がなかったことをする機会に恵まれてやってみたらこれが本当に楽しくてφ(゜▽゜*)♪
「自分はこういうことが好きだったんだ」と、初めて知りました( •̀ ω •́ )✧
家の中で観葉植物などを育てたことはありますが、昨年は、100円ショップのダイソーで「観葉植物」を売っていることをネットを見て知り、試しに2つ程買ってきて育ててみました。
「カポック」と「パキラ」です。
「そうだ、買ってきた当時に写しておいた写真があった!」と思い、現在の物と比べてみました。
ですが、何せ、誰かに見せる前提で撮影していないものですから、キレイではありません。
大きさの確認くらいは出来そうなので載せてみました( •̀ ω •́ )✧
ちょうど1年程で、こんなに大きくなりました。
たかが100円、されど100円ですね!
他にも、植物の数が増えてきましたが、毎日「おはよう!」と植物達に声を掛けながら健康状態の確認をしたり、少し大きくなった植物は一回り大きな鉢に植え替えをしたりして上手ではありませんが、自分なりに大切に育てています。
大きくなった植物を買ってくるのは簡単ですが、植物でも動物でも、やはり手を掛けて育てる過程に喜びがあるのではないでしょうか?
100円で買える「幸せ」!
なんて安上がりな楽しみでしょう!
人間も、きっとこんな風に、1年が2年になり3年になり、やがて10年程経って振り返ってみると「いい悪い」も含め、何かしら結果が出てくるものかも知れませんね。
60代は、大きな意味で「第二の人生」の始まりでもあります。
「シニア」と呼ばれる年代を、100円ショップの小さな観葉植物を育てるような気持ちで育てていくにはどうしたらよいでしょうか?
大切だと思うことと、目標にしたいと思うことを3つ、挙げてみました。
自分に優しくなる
頑張って来た自分を甘やかしてみる
70歳まで、現役で仕事を続ける人も多くなりました。
これからの時代は、現役を引退する年齢は65歳から70歳に移行していくことになりつつありますが、そうは言っても、60代になれば、5年先になるか、5年早くなるかの違いがあるだけでそう遠くない将来現役を引退する人がほとんどでしょう。
最も、急激に世界情勢が悪くなり物価の高騰がすさまじく、年金だけでは生活も厳しい昨今、できれば仕事をしたくないと思ってもそうもいかない時代状況でもありますし・・・・悩ましいところではありますが・・・・
筆者は66歳で現役仕事に一旦きりをつけ、これまで出来なかったことを片付けたり、やりたいことに挑戦したり、それができる環境があることに何より感謝しています。
仕事を辞めて半年、意外と「怠け者」状態が心地よくてたまりません。
何時に起きて何時に寝ようが、誰にも文句を言われない。多少の努力も、していない訳ではないけれど、誰かにやらされている訳ではないので気が向かないときはしなくてもよい。*^____^*
仕事をしているときは、そんな訳にはいかないのですから、頑張る必要がない時くらいは「怠けている自分」を多めに見てあげることが結果的に他者に対する親切になります。
自分に甘くなると、人にも甘くなると聞きますが、どうやら本当のようです!
インプットからアウトプットへ
持っているだけでは意味がない
仕事も若いうちや経験が浅いうちは、いつでも先輩や自分より年上の人がいて、何かあれば教えてもらえるという甘えがあり、また、頼りにできる人がいて心強いこともありました。
しかし、年齢を重ねるうちに、ふと気が付けばいつの間にか自分が一番年上になっていたり、仕事でも教えてもらえるどころか教える立場になっていたり・・・・
かと言って、これでいいとも思えず、まだまだと自分なりにお尻を叩くことばかり・・・・
「人間は死ぬまで勉強」という言葉ありますが、それも本当なのです。
ですが、ネットなどで人の話もいつでも聞ける現在、色々な考えがあることに気付いたのです。
何事にも、ピンキリがありその代表に習い事などがあります。
結局、どこまで行っても「上には上がいる」訳です。
階段の一番上に居なければ、人に何かを伝授ができない訳ではなく、たとえば、高校生がいきなり「幼稚園児」に話をするより、「小学生」から話をしたらほうが、すんなりと通じるかも知れません。
「小学生」は「中学生」から、「中学生」は「高校生」から・・・というように。
まだまだ「吸収しないと」と思いがちですが、自分が吸収することは、この先も永遠と続いていきます。
でも、今現在、自分が持っている知識や経験、スキルなどがあるなら、そのレベルの上下にこだわらず発信していくことにより、そのレベルに合った情報を必要としている人が今の自分に必要なことだけ取捨選択をして情報を得ることができるのです。
知識がある人から見たら当たり前すぎることも、全くの初心者にしてみればそんなに高度な知識では逆にチンプンカンプンです。
初心者にしてみれば、例えば「パソコンのマウスをクリックする」程度のことでも、本当にわからないものです。
そう言われてみれば、確かに「自分もそうだった」のですから。
だとすれば何も、難しいことではなくても、ちょっとした経験だけでも発信することで、少しでも誰かのお役に立てることがあるのだとすれば、そうして情報の共有をしていく方が、全く建設的な考えではないかと思うようになりました。
人間が息をしているように、「吸って」「吐いて」、自分もそういう風に誰かから情報を得ながら、すでに得ている知識やスキルなどを吐いていくことが出来ればと考えるようになりました。
お金と一緒で、使って回していくことで初めてその価値が生まれるのではないでしょうか?
無理をしない
これまでの自分と、今の自分を比べない
誰でも60年以上も生きて来ていれば、自分が歩いてきた足跡が見えてきますね。
例えば、人生の岐路に立った時2つの道が目の前にあったとして、どちらを歩いたら正解かと迷う時もあったでしょう。
でも、結局は同時に2つの道を歩くことはできない訳ですから「どんな結果になっても後悔しない」と思う道を歩いてきたのだと思います。
あの道を歩いていれば、「もっと違う人生があったかも知れない」・・・これは事実そうですよね。
歩く道が違えば当然のことです。
でも、「あの道」は、「この道」から見たら全てが「あの道」ですq(≧▽≦q)
結局、そういうのを「隣の芝生」というのでしょうか?O(∩_∩)O
「隣の芝生」から見たら、こちらの芝生も青く見えるのでしょう。
60代の今の自分から見たら、若くてなんでも頑張りが効いた頃が「青く」見えることもあろうかと思いますが、「金色に輝く芝生」もまた、渋くていいものだと思えるように過ごしていけたらと思います。
今日も一日無事に過ごせることに感謝します。