人間はいつの間にか歳を取ります。家族であれば当然、実際の年齢は知っているはずなのですが、記憶の中の若い時のまま歳を取らないなと感じることはありませんか?
他人は、どんどん歳を取っていくのに、自分の親兄弟やその子供は、いくつになっても若い時のままで止まっています。q(≧▽≦q)
どうしてなのでしょうか?
お父さんて、いくつだっけ?
もう93歳じゃないか?
そういう筆者の兄もすでに68歳ですが、離れている期間のほうが長いので自分の中ではいつまでも子供の頃の兄の姿のままです。
実際に、60代くらいまではそうそう極端に老ける訳ではありませんが流石に80代ともなれば見た目も歳を感じることになるでしょうか?・・・・
それでも、なぜか、事実年老いた親を目前にしても尚、若い時のままの親の姿が頭に浮かんできます。
親の方も、歳を取った自分を認めたくないらしく「なんでも自分でできるもん!」的なふりをします。
子供は、そうやっていつまでも親が親でいてほしいという、無意識な願望があるのかも知れませんね。
早い話が、「親が年老いている」という現実を認めたくないということでしょうか?
親よりも顕著に歳を取らないのが、兄弟や、その兄弟の子供達です。
兄弟はいくつになっても、子供時代の記憶のまま登場するし、その子供達(姪や甥)などは、普段からそうそう会う機会がないだけに、余計に小さい頃のまま成長が止まっているように思います。(*^_^*)
勿論、わが子においても例外ではなく、いくつになっても「小学生」のまま・・・・
あまり、中学生や高校生の時の記憶は思い出したくないのでしょうか?(;´д`)ゞ
子供が男の子の場合は特に、「高校生」頃になると顔には「髭」、足には「すね毛」が生える。母親自身には経験がないだけに異様な感じがしますよね。
(/▽\)
筆者が一番驚いたことは、息子が高校生の頃、ある日突然息子の顔を見たら「怖い顔」になっていて、一体昨日の顔とどこが違う?と思い・・・よく見てみたら「眉毛」がない(⊙x⊙;)
人間の顔は、「眉毛」がないだけですごく怖い顔になる。・・・ようです。(っ °Д °;)っ
どうやら、学校で流行っていたようで、いわゆる「ワルの高校生」ぶりってところでしょうか?
そんな頃も随分と昔の話、今では立派な?(年齢だけ)おじさんです。
それでも昨年までは、一応息子の「誕生日は覚えているよ」という「おめでとうコール」をしていましたが、さすがに、とっくに40代となったおじさんに母親が「おめでとう」もないものだと思い、今年の誕生日はスルーしました。
「おふくろも、いよいよボケたか?」と思ったか思わないかは知りませんが・・・ψ(`∇´)ψ
それなのに、いくつになっても、やっぱり親から見たら子供のままですね。
本当に、逆の立場であれば「なんと有難い話」なのです。
筆者はたまたま独り者同士で同居していますが、お互いに用事がなければ特別話をしません。
でも、毎日毎日、「ご飯は?」とそれしか口に出ない自分がおかしくなりますが、それは母としての本能なので仕方ないと諦めています。
その話をすれば周囲には「過保護」とか言われることが多いのですが、一つ屋根の下に暮らしている母親であれば当然のことではないかと?・・・・(イヤイヤ、自分だって状況が同じならそうなるって!と思いつつ聞き流しています) (~ ̄▽ ̄)~
自分も歳を取っているという現実はどこへやら、いくつになっても子供の心配は尽きないものですね。
さて、自身も60代ともなると周囲の友人や知り合いにも親の介護で離職した人や、仕事をしながら親の介護をしている話を聞くことが多くなりました。
本当に大変そうで、介護している側の身体は勿論ですが介護に掛かる費用の問題も大きいようです。
親のサイドで経済的な面の負担ができれば一番良いのですが、そうとばかりも言っていられない現実がありそうです。・・・
介護保険もなかなか現実には使えないケースが多いと聞いています。介護している子供側の負担を考えると身につまされて胸が痛みます。
ボチボチ、子供の心配をしている場合ではなく、自分の老後の心配をしなければなりません⊙﹏⊙∥
そのために必要なことは?
まずは、健康でなければ(*^_^*)
持病とは言えないまでも、身体のどこかしらに弱い部分の一つくらいは持っているのが人間ではないでしょうか?
筆者も2022年8月1日に健康診断の受診をして来ましたが、その結果が8月23日に届きました。
メタボ診断が検診のメインとなっているようでしたが、メタボどころか、体脂肪が少なすぎるという体質的な数値がB診断となっていて、毎回毎回、これって矛盾していないかと頭が?になります。(⊙x⊙;)
太りすぎも、痩せすぎも、数値的には要注意ということのようです
人間そうそう、「ちょうどいい体質など有り得ない!」と思うのですが( ̄︶ ̄)↗
でも、体質的な問題はさておき、自覚症状もなく9割がた問題なしでひとまずクリアしました。
この状態を一年でも長く維持していくために、自分の状況に合った努力をしていきたいと思います。
早い人で60歳・多くの場合は65歳・そしてこれからは70歳と定年年齢も先送りされてはいるものの、いずれにしても、現役仕事に一区切りつけて第二の人生へスタートを切る年齢グループに突入します。
第二の人生を迎えるにあたり、まずは、これからの人生を生きる上で一番大切な健康維持は無視できない問題ですね?
楽をしていれば「健康」というわけでもなさそうで、人間はある程度の不安材料もあった方が張り合いになるというのも事実ありますね。
もっとも、年金だけでは生活が厳しい時代でもあることから、ある程度、定年後も何かしら仕事をしていきたいと考えている人も多いでしょう。
だとすれば尚更、同じ仕事をするにしても、60代のそれはこれまでのそれとは選択の優先順位が違ってくるのではないでしょうか?
先を見据えた仕事の選択を考えるようになります。
70歳まで現役で働き続けるのが一番ベターな人もいれば、65歳で一旦現役仕事から離れ、更に75歳・80歳へと続く道を選択する人もいると思います。
第二の人生をどう生きたいかは人によって様々ですから、何が正解もなく自分がしたいようにするのが一番なのは言うまでもなく。
ただ、その選択をするに当たっても、若い頃のような働き方を選択する人は少なくなってきます。
近年、いくら見た目が若くなったとはいえ、歳と共にやはり疲れやすくなったり無理が効かなくなったりしていることは体感的に実感している人が多いと思います。
そういうことを踏まえた上で、退職後も仕事をするとしたら・・・・
その目的は何?
そこそこの収入と、そこそこの健康維持と、そこそこのやりがい。
仕事の退職と共に、急に立ち止まることがない程度に日々を充実させていくことが、周囲の人に負担を掛ける日を一日でも先送りできる方法の一つではないかと思っています。
目先の収入を優先するか、それとも、不確実ではあるけれど「こっちだよ!」と自分の気持ちが呼んでいる方向へ進むのか?
結果は誰にも分りませんが、いずれにしても、後悔のないようにこの先を歩いていきたいと願う年代となりました。
失敗しても、誰に対しても何の責任も伴わないステージなのですから、やっぱり、「今やりたいこと」に向かうのが一番ですね!( •̀ ω •́ )✧
引き返すことはいつでもできる!φ(゜▽゜*)♪と思って、1歩前に進んでみましょう。
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。