人から頂き物をした時や、お返しをするときによく出て来る言葉に「気は心」という言葉があります。物の金額ではありませんが、そこにはその人の価値観が現れることが多いでしょうか?
たとえば、自分が作った物をおすそ分けするにしても、「たくさん作ったからついでに」と考える人もいれば、「その人が好きそうだからわざわざ」と思って作るのでは、そもそも気持ちが最初から違うかも知れません。
仕事も似たようなところがあり、人を使うサイドの人は「給料を払っているんだから」と考えている経営者もいれば、何かするたびに「ご苦労様」と一言を添えて従業員を労う経営者もいます。
使われている側からも、「お金だけ貰えればいい」と割り切れる人がいれば、そうでない人は「気持ち」が切れたら離れていく人もいます。
いずれにしても、双方の価値観が違えば仕事の「相乗効果」は生まれないと思うのです。
会社員を離れて1年半という期間を過ごしてきた筆者が、今感じていることをお話しします。
本当は何を望んでいるのかが見えて来る
初めはそれでいいと思っても、本心に気付くことがある
人は持って生まれた性格と価値観があり、頭で考えた答えに気持ちがついていかないことがあります。
会社は「法人」であって一人の人間とは違います。
ですが、法人という名前に「人」という文字が使われるように、やはりそこに関わるのは機械でもなく血が通った「人間」な訳です。
使うサイドも使われるサイドも、人間である以上そこには「感情」というものがあります。
給料を払っているんだから仕事をするのは当たり前と考えている経営者もいます。
ならば、使われるサイドも、「給料を貰えればいい」という価値観を持っている人でないと波動が合わない訳です。
仕事の条件や給料などの面で、大きな過不足が双方になければ多少のことは「惰性」で片付けられるかも知れません。
しかし老若男女これだけ多くの人が、なぜ、こんなにも仕事のことで悩むのか?
ならば、「惰性」だけで片付けられない何かがあるはずです。
「これでいいのだ!」としばらくは自分自身を納得させつつ頑張ることはできても、やはり、人間ですからこれ以上は無理かも?というところに行き着く場合もあります。
「これ以上は無理だ」と感じることにこそ、その人が一番欲しいものがあるのかも知れません。
お金と引き換えに、自分が大切にしている何かを無くしていることに気が付くときです。
仕事をする目的は、勿論お金を稼ぐため
お金の為と割り切れる人と、割り切れない人がいる
人が仕事をする目的は、第一には生活の為です。
これは、生きて行くためには、避けて通れない事実でもあります。
なので、ある程度生活の保障がされている仕事を辞めるという時は、余程の「覚悟」がないとできないですね。
仕事を辞めた後のことは、さっぱり見えていない状態であれば尚更です。
それでも、自分が求める大切なものがそこになければ、「覚悟」を持って新たな道を探しに行くしかありません。
「気は心」はどんな時に感じる?
相手の心を感じる時、人はやる気になるか?
筆者は、ちょうど1年前に個人で仕事をするために「業務委託」の契約をしました。
仕事は完全在宅で、受託した仕事が終了したら契約先のシステム上へ入力して納品となります。
仕事を納品する為に、初めての入力を完了した際、本当に感動したことがあります。
パソコンの入力を完了して納品のボタンを押した瞬間に「お疲れ様でした」の一言が出てきた時は本当に「涙が出そう」になりました。
相手は、機械ですよ(笑)
なくても全く気にする話では、そもそもない訳です。
それでも、きっと、このシステムを作った人が入れた一言なのです。
1円にもならない言葉ですがそれこそ「気は心」です。
心が無ければ出てこない言葉ではないかと、あの日の感動は忘れられないです(笑)
自分が本当に欲しかったのは、「この一言」だったんだと改めて感じました。
人を動かす原動力は、「気は心」?
仕事の悩みの原因は、ほとんどが仕事自体ではない
特に、仕事の悩みの1番の要因は「人間関係」が多いようです
仕事自体の物理的な要因が悩みの種になる場合も勿論あります。
いずれにしても仕事は、生活基盤の基礎となっている訳ですから「退職や転職」の選択を一つ間違えれば「谷底」へ落ちてしまう可能性は否定できません。
だからこそ、悩みは大きくもあり「深刻」でもある問題ですね。
しかし、お金で割り切ることがどうしてもできない場合は、最悪のケースを想定に入れつつ、自分を信じて進むことが大切ではないかと思います。
ともに仕事をする仲間であれば、やはり波長が合うか合わないかということが大きいですね。
最低限の「気は心」が通じる仲間同士であれば気持ちよく働けます。
その仕事を続けるか続けないは、他にも個人的な理由があるのは勿論ですが、せめて一緒に仕事をしている間くらいは、「同じ釜の飯を食う仲間」だという意識があったらと思います。
まとめ
筆者は、このまま続けていれば経済的には一番安定していただろう仕事を退職しようと決めてから丸2年になりました。
仕事の関係上、実際に退職したのはそれから半年後です。
これまで頑張ってきた時間も努力も、その時は全て無駄になったような気がしなくもなかったですが、やはり自分の道を歩いてきて今思うことは、「これで良かったんじゃない?」ということです。
お金も大事ですから、そのことに関しては「仕方ない」と自分自身を慰めつつ(笑)
現在の仕事は専門的な仕事でもあることから、研修なども時々ありますが「ZOOM」やメールですべて完了します。
仕事の内容については確認が必要なこともあり、担当者の方に直接電話にてご連絡をすることもあります。
ですが、担当の方の「いつもありがとうございます」の一言に、「人が仕事を頑張ろうと思える原動力はこれではないか」と、いつも思っています。
報酬と仕事の重さが合わない仕事もありますが、だからこそ、この一言に救われることがあります。
仕事の仲間同士の交流がないので、他の皆さんがどのように仕事をし、なぜ、この仕事をしているのかはわかりません。
自分もそうですが、個人個人の目的や事情は違います。
ただ、なんとなく感じることは、「価値観が似ているのかな」という事です。
お金の大小だけでできる仕事でもないし、ある意味、他の皆さんも「職人肌」の方が多いのではないかと感じています。
実際には、顔も知らない方と仕事をしている訳ですが、今の時代は、こういう形も増えてきています。
相手の性格も知らない。どんな人なのかは想像でしかない。・・・
知らないからいいかとか、メールだから要件だけでいいかとか・・・
そんな風に考える人もいるかも知れませんが、接触する頻度が少ないほど、ほんの一言が相手の頑張る気力を奪ったり与えたりするのではないかと思うのです。
電話やメールだけでやり取りができてしまう仕事は顔が見えない分、相手の人間性が見えるものだと感じることが多くなりました。
きっと、相手の人もそんな風に感じているかも知れません。
「気は心」という言葉は、ご近所付き合いや友人との間でよく使う言葉ですが、仕事も基本的には同じではないかと思います。
会社員を卒業して新たな仕事を始めてから1年となりましたが、色々と事情も変わってきていることもあり継続するかどうかを検討する時期になりました。
たとえ、継続しなくても、やはりこの1年の間に勉強になったことが沢山ありました。
リアルに人と接することが今後はもっと少なくなる時代になるでしょう。
どんな時代になっても、基本、いいにしろ悪いにしろ人の影響を受けることが多いです。
「気は心」の一言を忘れたために、大事な何かを無くさないようにしなければと改めて戒めているところです(笑)
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。