人生も60年以上を生きてくれば、「諦めた」ことが良かったのか、「諦めなかった」ことが良かったのか、結果論でも色々と考えることがありませんか?
「石の上にも3年」「継続は力なり」等、昔から根性なしと言われないために歯を食いしばって頑張ることが美徳のような時代がありました。今でも、無くなったとは言えないまでも、こう時代の流れの変化が激しくなると、それが美徳と言える事柄が少なくなってきたように思います。
60代も後半を迎えている筆者の経験から、「諦めて良かったこと」と、「諦めなければ良かった」かも知れないと思うことを書いてみようと思います。
・子供の数
・生まれた環境
・自分の意思で変えられないこと
・人の船に乗って生きていくこと
・無駄な努力
・思いつかない(笑)
あら?「諦めなければ良かったこと」が思いつきません(笑)
改めて考えてみると、たぶん、今できることを目いっぱいまでやって来たということでしょうか?
それならそれで、「諦めて良かったこと」を詳しくお話ししていくことにします。
子供の数
子供は天からの授かりもの
「子供は天からの授かりもの」と昔から言いますが、本当にそうかも知れません。
筆者自身が3人兄弟で育っているため、自分の子供もできれば3人欲しいなと思っていました。
しかし、体質の問題で長男の出産後は、子供ができない身体となってしまったため、そのことがわかってからの1年程は落ち込んでいました。
でも、その間も、すでに2歳となっていた長男の面倒があり、ちょっとでも目が離せない戦争のような毎日したから、いつまでも落ち込んでなどいられず・・・
返ってそれが良かったと思います。
そして、いつしか「それならば」とこれから先の人生をどうするか考えた末、「仕事」をしていく方向へ転換することにしたのです。
一人しかいない子供にとっては、周りの大人は、「砂糖」を与えてくれる甘い人ばかりです。
おじいちゃんやおばあちゃんは勿論ですが、父親や母親も、目の行き先は一人の子供しかいない訳ですから、子供のためにもいいことばかりではありません。
愛情不足も問題ですが、愛情過多はもっと問題がありそうで・・・・
子供のために、早く外に出さないといけないと決心しました。
子供が3歳の誕生日を迎える日を待って保育園へ入園させ、自分はパートの仕事へと舵を切ったのです。
いくらほしいと思っても、手に入れることが不可能だとわかった段階で、さっさと諦めてしまうことがとても大切なことだと学びました。
生まれた環境
どこの家に生まれるかは、自分では選べない
この歳になって、人生を振り返ってみれば、「もしも、あんな家に生まれていたら自分の人生は違うものになっていたかも知れない。」
誰もが、一度くらいはそう思うようなことがあったかも知れません。
結局、隣の芝生ですから、自分が置かれた環境で精いっぱい生きていく以外ないので、これも良かったと思うところだけに感謝して、足りない部分はさっさと諦めてしまいました。
お金はあったらあったで、別の問題の元になります。
物もあればあったで、最終的には誰かに迷惑を掛けます。
今は、「ミニマリスト」ばやりで、とにかく、生活に必要なものは最低限度にして、余計なものを持たない生活をしている人が増えています。
もしも、お金持ちの家に生まれていたら?と思うことがないわけではありませんが、あったらあったで、「後始末」に頭を悩ませている人の話を聞くと、それはそれで大変そうです。
これも、生まれた環境に感謝して、それ以上のことはさっさと諦めてしまいましょう。
自分の意思で変えられないこと
他人の考えや気持ち
これは歳を取ったからと言って、「他人を変えよう」と全く思わなくなるものでもないようですが、「他人は他人」と割り切ることも年齢と共にできるようになってくるようです。
人に自分の考えを押し付けることはあまりないですが、自分の考えと合わない人に無理をして合わせることもなくなりました。
どちらが正しいとか間違っているとかの問題ではなく、人の性格や考えは10人10色です。
いちいち合わせていたら身が持たないですから、あまりに、波長の合わない人からは、可能であれば、さっさと諦めて離れてしまうことが、筆者にとってはいいようです。
それが、仕事上の関係にある場合が一番厄介な問題で、世の中の人間関係の悩みの大半はその辺にあるようです。
本当に悩ましい問題です。
最終的には、その人の価値観の問題になりますが、「お金」を取るか「自分」を取るか、究極はそこにあるのかも知れません。
若いうちなら、多少の我慢をしても人に合わせることがさして苦にもならないのですが、60代ともなれば、限られた先の時間を他人軸で生きていくのは勿体ないですよね。
自分の精神状態をいつもクリアにしていくことが、これからは一番大事なことかと思います。
人の船に乗って生きること
人の船に乗って生きていることが一番怖い
これこそ、全く逆に感じている人も多いかも知れません。
人に守られて生きることが「安心」と思う人もいれば、そうでもない人がいます。
筆者の場合は、その両方を体験していますので、どちらの良さもわかります。
人に守られて生きることが「幸せ」であることもわかっていますし、そうできたらどんなに心強いことだろうとも思います。
特に、それが女性の場合であれば、なんと可愛げのある女性でしょうか。
理想を言えば、そうでありたいと思う反面、長年一人でなんでもやってきてしまった人というのは、なかなか、そういう生き方に戻れないものだなと痛感します。
可愛げない自分だと自覚して、それもさっさと諦めて自分の人生を楽しむことにしました。
無駄な努力
自分に向いていないことは最初からしない
基本的には、「努力が無駄」だと思ってはいないのですが、現実とかけ離れた「夢」は見ないことにしています。
「ああなれたらいいな」とか、「こんなことができたらいいな」とか、思うだけならいくらでもあります。(笑)
ですが、人間にはやっぱり「向き・不向き」があると思うのです。
若いうちは、それこそなんでもやってみないと自分でもわからないことが沢山有ります。
いわゆる「自分探し」の時期ですね。
30代くらいまでは、もしかしたら、自分に向いているものがわからず悶々としている人が多いのかも知れません。
長年色々とやって来た経験からすると、どうやら、「気が付いたら食事もしていなかった」ほどそのことに集中していた!とか・・・・⊙﹏⊙∥
多分、あと何分頑張ったら「休憩時間」だとか、あと何日頑張れば「休み」だとか。・・・
そんなことを考えながらやっていることは「好きなこと」ではないのかも知れませんね(笑)
年齢を重ねてくると、そのあたりの塩梅も読めるようになってきて、「多分無理!」と始めから感じるようなことは、さっさと諦めて、自分に向いていることに向かうことにしています。
同じ「努力」をするにしても、方向を間違うと時間の浪費になってしまう場合があります。
「何をやっても人生に無駄なことなど一つもない」というのが筆者の信念ですが、あくまでも、それは自分の可能性が見えることに向かっている場合に限るような気がします。
まとめ
改めてこうして振り返ってみると、「後悔」していることが少ないのかなと思います。
ということは、案外、自分のやりたいことをやって来たとか、たとえそれが、傍目には失敗に見えても、本人にとってはそれが「いい経験」にしかなっていないのかも知れません。
まずは、自分自身がそう思えることの積み重ねが、後悔のない人生にしていくために大切なことでしょうか?
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。