『安定を手放して見えてくるもの』その先に見えてくるものは何?

仕事

人は、なぜ、「ジェットコースター」や「バンジージャンプ」など、ちょっと怖いものが好きなのでしょうか?

それから、人は、なぜ大変な思いをして「登山」をするのでしょうか?

平らな道にはない、「ワクワク」や「ドキドキ」があるから?

舗装された平らな道を歩いても、何ら、「ワクワク」はないけれど石ころだらけの道を歩くと、「楽しい」と感じるのは自分だけではないかも知れません。(笑)

いわゆる「怖いもの見たさ」ですね。

遊びであればそれもいいのですが、これが「人生」や「生活」が掛かっているとなると話は別のようです。

楽しいだけでは、生きていけない訳です。

それでも、「安定した生活」を手放して、「海の物とも山の物ともわからない」ことに挑戦していく人がいることも事実ですね。

筆者もその一人と言えなくもなく?・・・・(;´д`)ゞ

実際、昨年末に「安定した生活」をあえて手放し、「バンジージャンプ」した気分で・・・・( ˘︹˘ )

そして、新たな一歩を踏み出しました。

当記事がお伝えしたいこと

・「今」だから出来ることを見つけよう

・ダメでも、引き返す場所を持って挑戦しよう

・挑戦する相手は「自分」

今だから出来ることを見つけよう

年齢は関係ない

筆者の年齢から考えたら、ボチボチのんびりしてもいい歳ですが、これがなかなかできない性格のようです。

60代というのは、よくも悪くも、これまでの人生の「通信簿」を頂くような年齢ですが、この「通信簿」は一体誰が出しているのでしょうか?(笑)

「神様」ですか?

「他人」ですか?

いや、「自分」ではないでしょうか?

「やった後悔」より、「やらなかった後悔」は取り返すことができません。

もしも、「あの時にやっておけば良かった」ということが沢山あったとしたら・・・・

それから、目先のお金とかにこだわって「思考停止」したまま歳を重ねてしまったら・・・・

でもそれはそれで、我慢や辛抱をした分、年金額は増えている訳ですから、後になって「我慢して良かった」と思えるかも知れません。(笑)

いずれにしても、二つの道を同時に歩くことも、試すこともできない「一度きりの人生」です。

自分自身が納得できれば良い訳です。

そういう意味で、「残ったお金」の点数は「1」でも、「勇気を出してみた」点数は「5」

こんな通信簿があってもいいのではないでしょうか?

若い人の「挑戦」は、何度でも取り返しがききます。失敗しても失敗しても何度でも引き返したり方向転換をしたり・・・希望がいっぱいですね。

でも、また別の意味で65歳を過ぎてからの挑戦も、「今だから出来る時期」でもあります。

ダメでも引き返す場所を持って挑戦しよう

引き返す場所とは、「余裕」のこと

リスクを取って何かに挑戦することは、素晴らしいことと思いますが、ただし65歳を過ぎてからの「挑戦」には限度があります。

特に、定年退職などで手にした「退職金」をつぎ込んで、一か八かで始めた「起業」や「投資」などの大きなリスクを伴うような挑戦は、「失敗しちゃった!」で済む話ではありませんから(笑)

あくまでも、生活が破綻する可能性があるようなリスクのあることには挑戦は出来ません。

なので、失敗しても「ゼロ」に戻ればいいだけと言えるようなある種の保険がある上での「挑戦」が出来たらいいですね。

筆者は、現職を退職するまでの1年間は、「老後生活の安定」を選ぶか、「今しかできないことをする」のかで、本当に悩みました。

この先の数年が、安定した収入を得られる最後の数年とわかっているだけに、本当に手放してよいのかと、毎日毎日自問自答する日々。・・・・・

実際には、何歳まで仕事ができるかなんて誰にもわかりません。でも、やはり、これから先は自分個人で細く長く仕事が出来たら一番いいのでは?

そんなことができるかどうかもわかりません。ですから究極「やってみなければわからない!」(笑)

結局、経済的な安定を手放して新たな挑戦を始めてから、もうじき9か月になります。

それでも、「自分を基準に仕事をしたい」という形に一歩踏み出しています。

まずは、ダメ元で試してみるところからのスタートです。

挑戦する相手は自分

何を考えて何をしようとしていても、案外、他人には関係ないこと

そもそも、人は「人のために頑張っている訳でない。」(笑)

勿論、他人という意味です。

家族のために頑張るのは当然ですから。

ちなみに筆者が昨年末、仕事の退職を決断するキッカケとなった「詩」をご紹介します。

私は私の為に生きる。あなたはあなたの為に生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きている訳ではない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいる訳じゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルトの祈り

この詩を読んで、「そうだ、もう自分の為に生きよう」と思えたのです。

「挑戦」という言葉は、なんだか受け取りようによってはすごく「戦闘モード」のような言葉ですよね。

でも、実際には、人と戦うという意味でもないし、「攻撃的な意味」でもありません。

ほかの言葉に言い換えるなら「向上心とかチャレンジ」ということでしょうか?

そんなに大それたことでもなく、昨日の自分より、階段一つ上がれたらそれでいいのです。

いわば「自己満足」できればいいのです。

働く目的はこれまでも「お金」だけではなったですが、一番大きな目的となっていたのは事実です。

その目的の方向を、「やりたいことをやってみよう」という方向へ舵を切り直しです。

まとめ

最近のネット上では、「年金問題」だとか「老後破綻」だとか、将来に関するお金の問題ばかりな気がします。

「お金」の問題は、本当に大切なことで「ないよりはあった方が絶対に良い」に決まっています。

しかし、65歳を過ぎても尚、お金のために「我慢」や「ストレス」をためつつ仕事をしなければいけないのでしょうか?

楽しく仕事ができていれば、できるだけ長く働き、収入は多いに越したことはないですね。

でも、もし、それがきついなーと感じるのなら、無理をしなくてもいいのではないかと筆者は考えてしまいます。

そんな訳で、「個人事業主」としての一歩を踏み出したところです。

仕事自体は、まだ「トライアル中」ですから、その仕事をしていくかどうは決めていません。

ただ、働く形としては、この路線で行ってみようと考えています。

正直、会社員をしていたほうが「楽」と言えば楽かも知れませんが、明らかに「気持ち」が違います。

まだ、収入につながってはいませんが、もし、1円でも自分の力で稼ぐことが出来たら、それは「大金」です。

金額は少なくとも、大きな価値がある「大金」です。

そもそも、土俵が違うのですから、会社員時代の1円とは比べることはできません。

自分は、この体験をしてみたいのです。(~ ̄▽ ̄)~

やってみてダメだったとしても、これ以下にはならない最低限度の保険の上でやっていることです。これから先の選択肢については、最悪、補填する方法はほかにもあります。

そう考えて、人生最後の「バンジージャンプ」へ、ダイブしたばかりです。

今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。

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