わかってはいても人間ですから、時々は「どうにも心がざわざわする」日がありませんか?どうやら頭で考える「いい子」に「心」が伴わない事があるのが人間らしい!(笑)
時々、ご機嫌が悪い人と接して、せっかくこちらはご機嫌よく過ごしているのにトバッチリを受ける事がありませんか?
最近そういう場面に遭遇したので今回は「ご機嫌が悪い人」に対する対応を考えてみました。
ご機嫌が悪い人のそばから離れる方法はないかな?
本記事では、ご機嫌が悪い人から離れる方法を5つ挙げてみます。
・自分の思うように行かないとすぐに切れる人から離れる
・ご機嫌が悪い人同士がぶつかっている場合は静観視
・ご機嫌が治るまで少し間を明けて、様子を見てみる
・あまりに頻繁に自分の感情をぶつけてくる人がいたら逃げる
・友人の場合は、距離を置くか、程度によっては断捨離する
自分の思うようにいかないとすぐに切れる人から離れる
時々出くわす悪い癖がある人
人生も長年生きて来ると、色々な性格の人に出会います。
いつも穏やかな人もいれば、瞬間湯沸かし器のようにすぐに切れて怒る人もいます。
同じようなことをしても、笑い話で済む人がいれば、それ以来周囲に警戒心を抱かせる「切れ者」がいます。
通常の「切れ者」とは正反対の意味の「切れ者」であることにご注意ください。(笑)
それから、切れた本人が「反省」している場合もあれば「全く反省の色がなし」の場合もあります。
人間は感情の生き物ですから、周囲からはいつも平らに見えていても、内面では心穏やかではない場合もあれば、悲しい気持ちでいる時もあります。
それでも多くの人は、周囲には見せないようにしています(大人のたしなみ。)
しかし、中には、自分のご機嫌を自分で取れず、人に当たってくる大人もいる事実。
それでも周囲が理解し、許されているうちはまだいいのですがあまりにその頻度が高いと、次第に周囲から人がいなくなります。(笑)
性格がいいとか悪いとかよりも、少し始末が悪いですね。
人間は、「ここで怒らなければいけない」ところで「ニコニコ」とごまかすのもどうかと思いますが、「ここでなぜ切れる?」というような場面で突然切れられても周囲は迷惑千万です。
切れている理由に正当性が有ればOK。
なければ「あの人は何を怒っているの?」ということに・・・
いずれにしても、何もご機嫌が悪くもない周囲の人に、自分の感情を丸出しにしている人がいたらとりあえず静観します。
時が過ぎ、まっとうな自分に戻っている時のその人と、切れている時のその人を比べて、どちらが本当のその人なのかを天秤に掛けてみて、重たい方が多分その人の性格かも知れません。
もし年中切れているような人がいたら、あまり、そばには居たくありません。
森の中でクマに遭遇した時のように、静かに「後ずさり」をしましょう。
ご機嫌が悪い人同士がぶつかっている場合
同レベルになっている時は、近寄らない事
このケースの場合には、片方が避ける事が出来ていない訳ですから、当事者同士ではどうにもなりません。
かと言って、「仲裁」に入れば、自分もまきこまれる可能性がありますし・・・
さて、どうしたものか?
筆者も、以前勤めていた会社で自分の机を挟んで、二人の人間が目の前でバトルしている場面に遭遇したことがあります。
時が過ぎるまで、「我関せずで知らん顔」をするのが最善かも知れません。
筆者は、ちょっと堪忍と思って「自分の前に火花が見えるのですが(笑)」なんて、笑って茶化したことで場の空気が一変し、笑いばなしで終了したという経験があります。
普通は、「クマに遭遇した」と思って、その場から離れるか、静観視がベターです。
ご機嫌が治るまで少し間を開けて様子を見る
活火山もいつか治まる
「明けない夜はない」とも言います。コトの例えは少し違うかと思いますが(笑)
いつもご機嫌でいる事はそれほど疲れないと思いますが、ずっと瞬間湯沸かしのようにお湯を沸かしっぱなしでいる本人は、きっと疲れるでしょうね。(笑)
本人も周囲の反応がなければ、いつまでも顔を真っ赤にしている訳にもいかず。
時間が経てば冷静さを取り戻して、別の意味で「顔を真っ赤」にするかも知れません。
「恥ずかしいことをしたな」と思ってくれたら、ニンマリと許してあげたらと思います。
このケースにも何度か遭遇したことがありますが、本人は本当に「穴があったら入りたい」と思っているやらいないやら・・・
「大人げない」と思っても、自分も人間である以上、同じようなことを絶対にしないという確信がありません。
「笑って許して」という歌がありましたが。言ってみればその程度であれば(笑)
あまりに頻繁に自分の感情をぶつけてくる人からは逃げる
ここまでくると、人間だからも問題ではなく「性格」の問題かも
感情の動物から感情がなくなったら、逆に「怖い」ものです。
とはいえ、しょっちゅう自分の感情を周囲に丸出しにされても周りが疲弊します。
人の「波動」というのは、周囲にも伝わってしまうものです。
せっかく自分自身は、ご機嫌でいたとしても周囲に不機嫌な人がいるとその波動が伝わってきてしまいます。
笑ってごまかせるうちはまだいいのですが、ご機嫌な顔を見たことがない!・・・
ここまでくると、コトは重大です。
不機嫌な人からの波動を受けている時間が長ければ、周囲への影響も笑って済ませられる程度を超えて来るのも時間の問題です。
「まずいかな」と感じたら、早めにそういう人から離れる事で自分を守ることが大事です。
友人の場合には、距離を置くか、場合によっては断捨離する
一番悩ましい関係です
付き合いの程度や、長さにもよります。
長年生きてくれば、若い時からの友人もいれば、道中で知り合った友人など沢山いるものです。
職場で知り合って親しくなった人などは、職場を離れたら自然に疎遠になったりします。
そういうことではなく、長年友人として付き合ってきた人とは、途中で疎遠になるケースは殆どありません。
しかし、60年以上も生きてくれば、「箸が転んでも可笑しい」なんて何をしていても楽しい時代ははるか彼方です。
気が付けば、若い頃の写真にマジックで書いたシワではなく、正真正銘のシワの持ち主となっています。
「こんなはず」も「あんなはず」もないです(笑)
同年代の方が書いた「著書」などを読んでいても、ある程度の年齢になったら「物の断捨離」に加えて「人の断捨離」が必要とのこと。
「物の断捨離」はわかります。
しかし、「人の断捨離」とは?
少々、過激な言葉ですね。
60代ともなると、1日1日をとにかく楽しく過ごしたい、穏やかに過ごしたい。
残された時間を、自分の為に大切に過ごしたい。
好きなことだけして暮らしたい。
無理をしたくない。
などなど・・・
これまでとは違って、あまり心にさざ波が立つような出来事や、こちらの心の平穏を乱すような人からは離れたくなるようです。
これまでは特に意識をしなかったようなことも、一度振り返ってみると「あらッ?」そういえばというようなことに気付くことがあります。
そして、これから先の人生に本当に必要な友人なのかどうかを考えてみる事が必要だとか。
実際には、そうは言ってもなかなか簡単にできる事ではありません。
これは、逆の立場から言えば相手にも言える事で、自分が必要とされなくなる可能性もあります。
お互い様ですから、その時には、「今まで本当にありがとう」と言ってそっと離れる事にします。
まとめ
60代ともなると、本当に色々なことを考えるようになります。
親との関係、子供との関係、友人との関係。
思えば沢山の人から「愛」を貰い、助けてもらい、自分も頑張ってきました。
現在は寿命が延びて、今の60歳は昔の40歳だとか(笑)
本当にそうとも言えなくもないです。
しかし、事実60代ともなれば、自分の人生の終盤に差し掛かる年代のことは間違いないです。
もしかしたら、そんなことを言っていても、あと30年後も元気でいるかも知れないのですが(笑)
それでも、これからは、自分の人生に杭を打つように何度かの区切りをつけつつ後悔のないよう過ごしていきたいですね。
今日はここまで、明日はここまでと・・・・
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。