「完璧主義」は、あまり得策ではありません。なぜなら、無意識に自分の首を絞めているからです。「いい加減」とか、取りようによってはマイナスイメージになるような言葉がありますが、実は「良い・加減」という意味だということは皆さん周知のとおりです。
今回の記事では、「完璧主義」のいい面と悪い面を考えてみようと思います。
完璧主義のメリットは?
完璧主義のいい面とは
仕事の面で、完璧主義は周囲からの信頼を得られる
どこの会社でも、仕事を完璧にこなす人がいます。
「サルも木から落ちる」という言葉がありますから、どんなに完璧に仕事をしている人でも人間である以上、たまには間違いもあるかも知れません。
しかし、これがまた、そういう人というのは滅多に木から落ちないものです。
筆者も長年色々な人を見てみましたが、やはり、そういう人は周囲からの信頼は厚いですね。
「任せて安心」というところでしょうか。
間違いが少ないので、人に迷惑をかけることが少ない
仕事では、その仕事が他者と連携している場合が多いです。
会社組織であれば、自分のペースだけで好きなように仕事ができる会社など有り得ないですから必然的に、他者の仕事が関連してきます。
一人で全てが完結できれば何も問題もないのですが、前の作業を担当している人が「遅い」ために、次の作業をする人の時間が無くなるとか。
あるいは、他者がした仕事に間違いがあり、芋ずる式に間違いを連携してしまうとか。
そういうことが有り得て来るのが仕事ですね。
完璧な人は、そういうことの原因を作ることもありません。
人からの信頼もさることながら、自己信頼度も高くなる
自己信頼度と自信過剰の違いは?
「トライ&エラー」という言葉がありますが、個人的には好きな言葉です。
なんだか、「失敗してもいいか」という前向きな意味合いが強いですよね。
よく、起業した人が言っている言葉で、事実、成功を勝ち取るまでには何度も何度も躓いて、その時には心底落ち込んだりするそうです。
でも、そのときには明らかに「失敗」に見えたことが、やがて次のステップへと向かう時、身に付いたスキルが次の段階で効力を発したりするものです。
完璧主義の人は、案外と失敗することが怖いので、まずは一つ一つのコトを完璧にこなそうとします。
「負け戦はしない」ともいえると思います。
失敗の頻度は極めて低いですから当然周囲からの信頼度は高くなります。
そういうことが積み重なると、必然的に、自分のコトも必要以上に信頼できるようにはなります。ただ、自分が思っている以上に、周囲からの信頼度が高いかどうかは別問題ですが・・・(笑)
責任感が強い
裏を返せば、失敗をしたくないということ?
何事も完璧にコトを成し遂げたいということは、本当に素晴らしいことだと思います。
まずは、仕事に関しては最低限必要な要素には間違いないです。
ただ、これが強すぎる人は、自分の首を絞める事になりかねないです。
なぜなら案外、自分が思っているほど他者は完璧を求めてはいないことに気が付かないからです。
なんでも100点満点でないと気が済まない人は、ちょっと要注意です。
80点でいいものは80点でよしとしましょう。
そうでなければ、ハンドルの遊びがない「ガチガチ」の車を運転しているようなもので、いざとなった時の逃げ道がありません。
100点満点を望んでいるのは、自分だけということに気付きましょう。
完璧主義のデメリットは?
完璧主義の悪い面とは
人に任せる事が苦手
なんでも自分がやらないといけない!と思ってはいませんか?
そういう筆者も、ご多分に漏れずです(笑)
しかし、これが、どうやら間違いのようです。
何でも自分でやらないと気が済まないというのは、結果的にあまりいいことではないようですよ。
「裏を返せば他人を信頼していない」と、取れなくもないのです。
会社の中には人より多くの仕事をこなす人がいます。
一見、素晴らしいことのように聞こえますが、ある本を読んで、なるほどと気づいたことがあります。
仕事ができる人は、ついつい沢山の仕事をしてしまおうと思うものですし、そのことが、「会社の為、自分の為」と信じてやっているものです。
誰もが善意でやっているに違いないのですが、見方を変えて見てみれば、それは「他の人の仕事を奪い、他の人の成長する機会まで奪っている」ということを読んで、なるほどそうかも知れないと気づきました。
人を頼ることが苦手
三つ子の魂100までというが?
人を頼れないという習慣は、よく考えたら子供の頃かではないでしょうか?
幼少期に育った環境から来ている可能性が大きいのでは筆者は考えています。
兄弟の数や、親の育てかたや、諸々の育った環境が後の性格形成に少なからずの影響をもたらすものです。
筆者も、人を頼ることが苦手で、なにがあっても「大丈夫大丈夫!」と言って人を頼ることをしない面があります。
しかし、これも随分と立派な行為のように一見は見えますが、やはりこれも度を過ぎると見ようによっては「冷たい」という印象を持たれることもあります。
第一、自分だって、人から頼られたら嬉しいものですよね。
なのに、自分は人には頼りたくない。
これって矛盾していませんか?
長年の性格から来ていることですから悪気はないものです。
でも、自分がそうだと気づいたら、少し意識して周りにも喜んでもらえるように頼りにしてみませんか?(自分に言い聞かせる(笑))
人にも完璧を求める面がある
自分では、人に完璧を求めていないと思っている
「いやいや、自分は完璧でも人に完璧は求めてないわ!」と本人は思っている。(笑)
これこそ、気が付いていないだけで、無意識に「人にも完璧を求めている」かも知れません。
自分のコトは「いい人」と思いたいので、そうではないと信じたいところですが、やはり本心では、「自分はこうしているのに」という思いが全くないと言ったら、多分嘘ですね。
これまた、筆者もご多分に漏れずです。心当たりがないとは言えない(っ °Д °;)っ
程度の問題がありますから、たまにそう思っている程度ならよしとします。
ただ、問題は、人にこれを押し付けているとしたら、かなりの重症です。
心当たりがある人は、速攻、改めてください(笑)
そうでないと、周りから人がいなくなります≡(▔﹏▔)≡
人に対して批判的になることがある
常に自分が正しいという勘違い
完璧主義の人は周囲からの評判が良かったり、人から賞賛されたりすることが多いため、「自分は正しい」と思いがち。
そうすると、ついつい、自分が正しい=人が間違っている。
という公式が成り立ってしまう。
こんなことが思い当たる人はいませんか?
それこそ程度の問題がありますが、少なからず、誰にでもあろうことではないでしょうか?
また、人間とはおかしなもので、人の批判をしないコトは素晴らしいことなのですが、全くしない人がいたとしたら、逆に「本心が見えない人」のような印象もあります。
人間性が素晴らしいのはいいことですが、神様でもないのですから、やはり、人間というのは多少の問題点がある人の方が人間味を感じたりするのですが、いかがでしょうか?
筆者が勤めていた会社の社長で、「ものすごく沸点が低い」社長がいました。
年中「顔を真っ赤にして怒っている」ので家族からも「病気だから」と言われていましたが、筆者はなんだか、人間味があって嫌いではなかったです。
ある程度、その沸点の切れどころがわかってくると、「ここでお湯が沸くぞ!」なんてことも読めるようになり、思った通り、真っ赤な顔して怒り始めるのですが、これがまた「かわいい」と感じてしまう筆者も変わっているのでしょうか?
というのも、お湯を沸かした後で本人が反省しているからです。
それなら「最初からしなければいいのに」と言っても、それができれば苦労しない訳です。(笑)
意外に一つのことが長く続かない
これが本当に意外なことの一つです。
なんだか矛盾しているようでもありますが、「優秀な人ほど転職が多い」のも事実です。
大概、どこの会社でも、優秀な人が会社を去っている事実があります。
これは「完璧主義」と、関係はないだろうか?
自分に完璧を求めるから、もっともっとと自分を高めるために転職するのかも知れません。
あるいは、周りに「完璧を求めている」から、「ここでは無理」と思い転職するのかも知れません。
いずれにしても、会社から首にならない限りは、自分の意思で転職をしているケースがほとんどでしょう。
それが正解な場合もあれば、一つ間違えれば、苦労ばかりということに遭遇する人生かも知れません。
そして、それが幸せかどうか、正解かどうかもわかりません。
まとめ
何事も、表があれば裏があります
要は、バランスの問題でしょうか?
それこそ、昭和の初め当たりの子供の写真を見ると、綺麗な子供は少ないです。
「頬を真っ赤にした鼻たれ小僧」のような子供の姿が多かったです。
今は子供も大人も、綺麗になりました。
それなのに、もっと綺麗じゃないと人から認めてもらえないと思っている。痩せていないと人から認めてもらえないと思っている。勉強ができないと人から認めてもらえないと思っている。などなど。
上げればきりがないです。
でも、そのことが自分自身を苦しめているとしたら本末転倒です。
完璧でなくてもいいではないですか。
可愛くなくてもいいではないですか。
人と比べなくてもいいではないですか。
60代も後半となった筆者だから言える事でもあります。
どうか、自分より若い年代の人は、どんな自分でも「素晴らしい」と信じてこれからの時代を生きていって欲しいと願うばかりです。
脱「完璧主義!」
歓迎「出来の悪い自分!」
「非の打ちどころがない人間より、可愛げのある人間になろう!」(笑)
今日も一日、無事に過ごせることに感謝します。